ロボットが「使える場所」と「使えない場所」の境界線が動いている
私は現在、大手シンクタンクが運営し、グループ会社が参加する企業横断型研究会の企画委員を務めている。複数のテーマが並走するこの研究会の中で、今年度私がテーマとして立ち上げたのがフィジカルAI研究会だ。テーマの設計から議論のコーディネートまで担う立場として、参加企業の研究員・技術者・経営企画担当者とともに1年間、この領域を深掘りしてきた。この記事はその振り返りと、次年度に向けた問いの整理である。
2025年は「フィジカルAI元年」と言われている。今年いくつかの展示会に足を運んだが、4足歩行・2足歩行のロボットのブースには常に人だかりができていた。間違いなく今年最大の注目株だ。
しかし工場・倉庫・物流といった「制御された環境」では商用レベルで機能する一方、家庭・街角・病院の廊下・飲食店のホール——曖昧さが支配する空間に出た途端、現在のフィジカルAIは途端に脆くなる。
今年度の研究会はテーマアップしたばかりということもあり、まずは最先端技術の現在地を正確に把握することからスタートした。実用レベルになったとして自社グループのどこで適用できそうか、技術的な構成はどうなっているのか、その影響や課題・制約は何か——こうした問いを軸に、メンバー全員で一から積み上げていくことにした。
第1フェーズ:「フィジカルAIとは何か」を全員で定義する
集まったメンバーは19名。業種も役割も年代もさまざまで、フィジカルAIについての事前知識はほぼない状態からのスタートだった。そこで前半は知識習得フェーズと位置づけ、各自が調査・インプットを重ねながら、まず「全員の認識を揃えること」を優先した。
その議論の中から生まれたのが、本研究会独自のフィジカルAIの三段階定義だ。フィジカルAIはヒューマノイドロボットと同義で語られることも多いが、本研究会ではより広義に「AIが物理世界に作用するシステム全般」として捉え、以下のように整理した。
ルールベース——あらかじめ人間が設定したルールに従って動く。工場の産業用ロボットがその典型で、決められた動作を正確に繰り返すことに特化している。
この定義を議論する中で、研究会では大手電機メーカーのマザー工場への見学機会も得た。目の前で稼働する産業用ロボットの高速かつ正確な動きは、言葉で説明する「ルールベース」の概念をはるかに超えた迫力があった。日本の製造技術の底力をまざまざと見せつけられた体験として、メンバー全員の印象に残っている。
機械学習ベース——データから学習し、状況に応じた対応ができる。SoftBankのPepperやSONYのAIBOがこの段階に位置する。人との対話や環境への適応が可能になるが、学習データの範囲内という制約がある。
自律学習ベース——環境との相互作用を通じて自ら学習・進化し、未知の状況にも対応できる。TeslaのOptimus(オプティマス)が目指しているのがこの段階だ。現時点では実用化の途上にあるが、フィジカルAIの本命として世界中で開発競争が続いている。
中間報告会ではこの三段階定義を共通言語として整理した上で、各段階においてロボットがどう判断し動作するかの処理フロー、そしてセンサー・アクチュエーター・制御系からなるハードウェアの基本構成についてもメンバー全員で確認した。「同じ言葉で話せる状態」を作ることが、この時点での最大の成果だった。
第2フェーズ:中間までの取り組みを深掘りし、現時点の課題と制約を整理する
中間報告会までに積み上げた定義・動作フロー・ハード構成の理解をベースに、後半は「現時点で何が壁になっているのか」の構造的整理に移行した。
特に議論が深まったのが学習データの問題だ。同じアーキテクチャのロボットでも、学習データの質と量が性能の差に直結する。ハードウェアの優劣より、データの設計が勝負を決めるという認識はメンバー全員に共通した。
ハードウェア課題として議論が集中したのは三点だ。
一つ目は電源問題。現行のロボットはバッテリー稼働時間の制約が実用化の大きな壁になっており、長時間・連続稼働が求められる現場ほどこの制約が顕在化する。
二つ目は省電力化。研究会では九州工業大学の教授に直接話を聞きに行く機会を得た。九工大はロボットコンテストでの優勝実績を持つ国内有数のロボット研究機関だ。東大の松尾研にも勝利する実力派だ。そこで注目したのがニューロモルフィック技術——人間の神経回路の仕組みを模倣した省電力型の情報処理アーキテクチャだ。従来のAIチップに比べて大幅な消費電力削減が期待できるが、実用化にはまだ課題が残る。
三つ目は動作速度の遅延。センサーが環境を認識してから実際に体が動くまでのタイムラグは、人間との協調作業や繊細な現場作業では致命的な問題になりうる。リアルタイム処理の精度向上は、ハードとソフト両面からの解決が求められる課題だ。
ソフトウェア面での制約も見逃せない。現状、フィジカルAIの開発環境はNVIDIAが事実上の一強状態にある。シミュレーター・学習基盤・推論チップまでNVIDIAの技術スタックで統一された経済圏が形成されており、この生態系の外で開発を進めることは現実的に難しい。プラットフォームを押さえた者が市場を支配するという構造は、フィジカルAIにおいても例外ではない。
一方で日本にも変化の兆しはある。ファナックがロボット制御ソフトウェアのオープンソース化に踏み出すなど、これまで囲い込み戦略を取ってきた日本の産業ロボット勢が開発者エコシステムの形成に向けて動き始めている。NVIDIAが支配するソフトウェア経済圏に対して、日本が物理データと制御技術を軸にどう対抗軸を作るか——土壌は徐々に整いつつあるが、スピードが問われる段階に入っている。
調査・議論だけでは物足りないというのが、集まったメンバーの気質だ。実際に手を動かして体験したいという希望もあり、オープンソースで公開されているロボットシミュレーター「Webots」を使い、仮想空間上でロボットがカメラ映像からサッカーボールを認識し、追跡してゴールに入れるシミュレーションの実装にも取り組んだ。センサー・認識・制御の一連の連携もシミュレーター上で再現しており、この様子は発表用として動作中の動画も用意している。
さらに最終報告会に向けては、次年度の研究会で実際に購入できそうなヒューマノイドの調査も進めている。シミュレーターだけでなく実機を使った本格的な実装まで視野に入れているからだ。「知る」から「動かす」へ——この一歩が次年度の研究会をより具体的なものにしていくと考えている。
最終報告会に向けては、こうした調査・議論・実装の積み重ねを整理し、各メンバーが自分の言葉でフィジカルAIを語れる状態を目指している。知識として持つだけでなく、腹落ちした言葉で話せるようになること——それが今年度の研究会として最後に目指すゴールだ。
今年度の着地点:日本の勝ち筋は「おもてなし」にある
事例研究フェーズではまず、ヒューマノイドの実用例を洗い出すところから始めた。だが現時点では商用レベルの実用例は想定以上に少なく、業界別の適用可能性をマッピングする作業においても、調査研究の射程が広すぎて全体像を掴みきれなかった。法制度・倫理・社会構造といった領域も含め、入り口にさえ立てていない問いが山積みの状態だというのが正直なところだ。
そうした中で「日本はどこで戦うか」という問いに絞り込み、議論を重ねるうちに一つの仮説に収束していった。日本の強みは「おもてなし」の文化にあるのではないか、というものだ。
製造コストでは中国に、プラットフォーム支配では米国に後れを取っている。中国が現在の水準に達した背景には構造的な理由がある。コンプライアンス規制が相対的に緩く大量の学習データを収集しやすい環境、国家が研究開発に直接資金を投じる体制、そして膨大な研究者人口——この三つが重なって、学習データの量と多様性で圧倒的なアドバンテージを築いている。単純な技術力の差ではなく、データ収集の構造的優位が今の差を生んでいる。
だからこそ、日本が戦う土俵は別のところにある。察する、間を読む、言葉にならない期待に応える——こうした日本特有の対人サービスの文脈をロボットに学習させることができれば、中国や米国が簡単には複製できない差別化要因になりうる。研究会としての仮説は、おもてなしの配慮が学習されたコミュニケーション系のサービスロボットだ。接客・介護・観光といった人との距離が近い領域で、日本固有の気遣いや間の取り方を体現するロボットは、文化的文脈そのものが競争優位になる。
加えて個人的な見解として付言するなら、複数のロボットをシームレスに連携・制御するオーケストレーションプラットフォームも戦略的に戦える領域ではないかと考えている。個々のロボットの性能競争ではなく、複数台を統合して価値を生み出す「場の設計」は、日本のサービス産業が長年培ってきたオペレーション力と親和性が高い。
ハードウェアでも基盤モデルでもなく、文化とオペレーションの文脈がデータになる——これが今年度の研究会として一つ辿り着いた仮説だ。ただし「おもてなしをどうデータ化するか」という具体論は、次年度に持ち越した課題として残っている。
次年度へ:問いはさらに深くなる
今年度の研究を通じて、問いの射程は想定以上に広がった。
技術転換点の読み方——ローカルLLMによる自律推論、固体電池による長時間稼働、Sim-to-Realギャップの解消、この3要素が揃う2035〜2040年に何が起きるのか。グローバル競争の構造——中国の国家主導による量産体制、米国のモデル・チップ・データ三層支配、そして日本が持つ数十年分の物理データという資産をどう活かすか。さらにはヒューマノイドの業界別適用可能性、法制度・倫理・社会構造に関わる問い——いずれも今年度は入り口にさえ立てていない領域として次年度に持ち越している。
これらを次年度の研究テーマとして引き継ぎ、以下の4軸で深掘りしていく予定だ。
技術の整理——開発ツール・学習環境・Sim-to-Real実装・複数ロボット制御。現時点で「何が使えて、何がまだ使えないか」の解像度を上げる。
ユースケースの成立条件分析——対象業界・日本市場の特性・おもてなし領域を含む対話・ホスピタリティ分野で、どの条件が揃えば実装が成立するかを具体的に検討する。
社会実装に向けた非技術要素——責任分界・安全性・法律・倫理・プライバシー。技術が先行している分、制度の議論が追いついていない領域だ。
中長期展望——2040〜2050年を見据えた技術進展の読み方と、そこから逆算した現在の意思決定。
次年度は、コーディネーターとしての立場からアドバイザーへと役割を変えて、研究会に関わっていく。今年1年で研究会が自分たちの言葉でフィジカルAIを語れる状態になったことは、一つの成果だと思っている。あとは問いをさらに深く、具体的に掘り進めていく段階だ。
フィジカルAIは、まだ考える時間がある分野だ。だからこそ今、表層的な情報収集ではなく、構造から考える習慣を作っておくことに意味がある。その姿勢は、次年度も変わらない。





